●まんがによるまちおこしシンポジウム報告●
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【基調講演】
「まんがによるまちおこし」

講師:牧野圭一
(京都精華大学芸術学部教授・社団法人日本漫画家協会理事)

基調講演

 まんが家の牧野です。大変立派な建物ができて、先程、市長から横山先生に一目お見せしたかった、日本中のまんが家を集めて見せたかったという述懐がありましたが、私もその漫画集団の末端にいた者として、本当にそういう思いがいたします。

 20年くらい前、社団法人日本漫画家協会ができた時、社団法人の社というのが括弧で入ることに大変苦労しました。まんが家の団体というものは、社団法人になる必要があるのかという議論が盛んにされました。と申しますのは、横山先生がいらっしゃった鎌倉には「鎌倉文士」「鎌倉文化人」というような言葉がありまして、関東の様々な文化、特に小説家を中心とした方々、評論家、まんが家、挿絵家、出版社の方々が集まっておられて、一つの文化人コアを形成していました。そこで醸しだされる一つのルールというか、価値観は、単に鎌倉だけではなく日本中の作家たちに及んだものです。

 そこでは、今は死語ですけれど、「武士は食わねど高楊枝」つまり、作家は、とにかく作品そのものにこそすべてをかけるべきであって、それ以上の団体を作ってなにか行動を起こすのはよろしくない、と言われていました。まんがというのはサブカルチャーであって、本当に民衆の中から生まれた民衆のための民衆によるというか、皆さんを楽しませるというか、お互いが楽しむためのおもしろい文化であるという認識しかしてなかった。当時からコミック、ストーリーまんがの方々は、マネージャーを持ち、事務所を持ち、アシスタントを持ち、分業という考え方をとっくにしておりました。今はほとんどそれを否定する人はいませんが、当時はそうではなかったんですね。ですから、印税とか原稿料という形での収入があるっていうのは当然でありましたけれども、それ以上に、それがまちおこしの材料になるというような発想はなかったと思います。

 理事会で「将来は日本のまんがは、1千万とか当たり前、億単位のお話がどんどんでてきますよ」てなことを発言すると、また牧野が大風呂敷を広げてるなというような反応でした。しかし、コミックの方々は「当然でしょう」「日本のまんが文化っていうのは非常に特徴的で力を持っているのだから、将来そうなるよ」ということを言ってました。私は石ノ森章太郎さんと同年齢なんですが、彼も「まんがはひとつの分野だけにとどまらず」ということで、「漫画」の「漫」を「萬(よろず)」というふうに考えておりました。 「漫」ではとてもカバーしきれないのが日本のまんが文化であるとも言っておられました。私たちはその精神を受け継いでいきたいと日頃思っていて、精華大学に行ってマンガ学科を作ったわけです。

 英語さえまともにできない私どもでは、似顔絵は教えられても、政治学とかマスコミ学ということになったらとても及ばない。それは大学でやる、大学でそういう環境を作るのが私の仕事であると、考えたわけですね。で、比叡山にマンガ文化研究所を作りました。その中に最初の事業としてマンガ学会というものを立ち上げたんです。

 私の基調講演の後、各地でいろんな形で成功なさっている方々が、ただ観念的にまんがとはどうだ、何がおもしろいかっていうことではなくて、それがその地域、まちづくりに非常に実際に役立っているかということを実体験としてお持ちになっているわけなんで、是非ご参考にしていただきたい。今日のシンポジウムが非常に意欲的で参加する私ども自身にとってもエキサイティングであるというのは、やっぱりもうすでに理論を離れて、実際にそういうことが現実になっているその凄さですね。

 特にキャラクター、まんがのキャラクターは、非常に不思議なことに、頭が大きくて、目が大きくて、現実にはあり得ないものが動き回るわけですけれども、ポケットモンスターのピカチュウなど、そういうものが非常に大きな経済効果を持っている。アメリカの興行成績を塗り替えてしまうぐらいの大ヒットをして、その過程で世界企業を作っている。物があるわけではなくて、人の頭から手作業によって生み出されたキャラクターというものがあり、非常に不思議な力を持っている。「理屈を言っちゃあいけないよ」って言われても、もう理屈で追いかけないといけない事態に入ってきてる。なぜあの2頭身、3頭身のキャラクターがそれほど子どもたちに受け入れられ、大人も巻き込んで大きな経済効果を上げるのか。AとBとCとの差はどこにあって、Aだけにその著作権を与えていいのかというようなことを、しっかり見極めないといけないわけです。

 それがここにきて、大変な経済効果を生むこととなりました。日本には精華大学1校しかないのに、韓国はいち早くもう20〜30の大学にまんがコースができている。大統領がとにかく日本に追いつけ追い越せという号令を出し、企業がそれに乗っているからだというふうに聞いております。実際その通りで、大変優れた作家たちが生まれつつあります。しかし、それでもなおかつ韓国の学生さんたちは日本に来て精華大学で学んでいるという理由は何だろうか。それはやはり日本は上から与えられた文化ではなく、皆さん読者が育てたものですから、層が厚いですね。これほどの質の高い読者を集中的に持っている国というのは少ないかもしれません。フランスと日本のまんが文化の一番違うのはどこかというと、日本中の人たちは老いも若きもまんがに対して非常に共鳴をしているということ、これは一つ特異なんです。

 いずれにしてもとても見過ごすことのできないほどの人気と経済効果を、キャラクターという非常に不思議な存在が持ち始めた。今年はアトムの誕生日だっていうことですが、もう後わずかな時間で日本のロボット産業は自動車産業を抜くだろうという予測があります。そのロボットを容認し、要するに市場として受け入れて共同生活を始めるだろう。恐らくまんがと同じように、戦争の道具に使う前に、一緒に住んで、アイボちゃんとかアシモちゃんというような感じでかわいがる、それが日本人ですね。

まんがによるまちおこしシンポジウム

 私なりの結論ですが、横山先生は一人の非常に独立した素晴らしい文化人です。そういう方々が作り上げたまんが文化、一般の市民が非常に優秀な読者としてまんが家を育て上げてきたという歴史というのがあるんですね。ヨーロッパのまんが文化のフェスティバル、そこではやっぱり素晴らしいものに対する非常に強い顕彰というか、そのほめたたえるほめたたえ方、そういうものが徹底しているということです。それで人をどんどん育てていく。横山先生を、水木先生を、石ノ森章太郎先生を日本の中に根付かせて顕彰してということが今、行われつつある。

 で、もうすでにアングレームとこの横山記念館、高知市が結びつこうとしている、普通は東京を経てとかいう順なんですが、これが非常に驚きなんですね。そこにしかるべきキーマンというのが存在しておる。今日はそのお一人として木下小夜子さん、女性の先駆的なプロデューサーがいらっしゃいますが、高知にもはちきんさんがいて、こういう企画をなさい、こういう話を聞かせなさいという原動力にもなっているとお聞きしてます。そういう方々がまんがに目を向けてくださって、こういう大きな拠点を持って、もっとまんがをまちおこしに使いたいと思われ始めたことは素晴らしいことだと思っています。

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